イアン カーティスと赤い部屋 |
ヒデキも逝ってしまいましたが、今日はイアン カーティス(ジョイ ディヴィジョン→ニューオーダーの前身)の命日なんですね。38周忌。'83年の3周忌に梅田の阪急の高架下のカフェバー(笑)で追悼無料ビデオコンサートをやりました。当時はこういうアーチストの映像なんてなかなか手に入れる機会もなく、ぼくが入手したものもずいぶんコピーされた画質もひどいVHSでした。情宣も今のようにSNSのない時代、フライヤーもつくらずに今はなき関西の「Lマガ」や小判だった「プレイガイドジャーナル」という情報誌に載せてもらった数行の小さい欄のみ。関東からの「ぴあ」も進出してない時代、情報誌の切り口を変えた「ウォーカー」の進出も10年以上あとのことです。
当時の情報誌の良いところはメジャーな情報もこのような個人が発するような小さな情報も垣根をつくらずに無料で並列してくれるところでした。なのでアンダーグラウンドな情報も読者は入手できるのですね。当時の学生起業出版ならではの素晴らしい目線だと思います。しかしそのうち情報が多くなり、まみれ過ぎて埋没していき情報誌業界は角川の「ウォーカー」という排除厳選オールカラーな企業的メジャー型刷新の波にに呑み込まれていくのです。ちなみにLマガジン社の突破口「ミーツリージョナル」という関西の良心の創刊は'89年、「関西ウォーカー」はその5年後の'94年なんですね。
話を戻すと関西系情報誌2誌のそんな小さな情報にもかかわらず、たくさんの人がそのビデオコンサートに集まってくれたのです。無料ということもあったのでしょうけど、やっぱりみんな映像に飢えてたのでしょうね。音源は聴けても、海外のインディーズのアーチストの動く映像に渇望していたんだと思います。今のようにyoutubeなんてとてつもないものがない時代ですから。販売されてるビデオソフトもとても高価な時代でした。ぼくが入手したのは海賊版の安価なものでしたけれど。でもそんな小さな情報に驚くほどたくさんの人が集まってくれるほど、時代は細かい情報にも目を通していたんですね。
ミーツの初期の頃まで、所謂バブルでいろんなものが弾け飛ぶまで情報誌に携わってた人達はおもろいヤツがワンサカいてましたね。インディーズでバンドやってる子や野外でやるような演劇やってる連中に白塗りして踊る子、現代美術と格闘してる人。おもろかった。
さて、そんな頃の空気をたっぷり吸い込んで熟成した'80年代のインディペンデントなレーベルのレコードを'90年代インディーズ系熟成ワインとともに楽しむ温故知新なナジャの一夜。東京 南青山の地下の『#赤い部屋』で5.28月、19h〜25h
どなたさまでも遊びにいらしてください☆
https://www.facebook.com/events/1854486704603063/?ti=icl
ps:数年着てなかったこのTシャツをひっぱり出して着たのはイアンの想念との無意識下のリンクだったのですね(笑)
ヒデキにもご冥福を。アイドルスタートでしたけどいい人でしたね。
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